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国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW : ウィキペディア日本語版
国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW[こくさいせいねんねんきねん おーる とぅげざー なう]

国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW(こくさいせいねんねんきねん オール トゥゲザー ナウ)は、1985年6月15日国立霞ヶ丘陸上競技場にて行われた大規模なジョイントコンサート。正式名称は『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW by LION』(こくさいせいねんねんきねん オール トゥゲザー ナウ バイ ライオン)。
主催:日本民間放送連盟/国際青年の年推進協議会、後援:国際青年年事業推進会議/文部省/労働省/郵政省、協賛:ライオン
== 概要 ==
国際連合にて1985年に採択された「国際青年年」を記念し、1985年6月15日国立競技場にて行われた大規模なジョイントコンサート〔田家秀樹『吉田拓郎ヒストリー1970-1993』 ぴあ〈ぴあbook. ぴあmusic collection4〉、1994年、p82、87、ALL TOGETHER NOW。 : 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 〕。大規模ロック・フェスティバルの草分けとされる〔池田憲一『わが青春の流行歌』白馬出版、1990年、p139〕。
当時、第一線で活躍していたミュージシャンが一堂に会して行われた〔。観客動員数は63,000人〔『吉田拓郎ヒストリー1970-1993』p82には、観客数は50,000人と記載されている〕。
国立霞ヶ丘陸上競技場を本格的な音楽イベントとして使用した最初のケースである〔(国立霞ヶ丘陸上競技場#コンサート)。同会場をコンサート会場として使用する際には、天然芝の保護など規制が厳しいといわれるが、日本民間放送連盟主催というお墨付きがあったため審査をパスしたといわれる〔民放ラジオ特別番組「ALL TOGETHER NOW 2013 by LION」 〕〔「ALL TOGETHER NOW 2013 by LION」-AM編〕。
競技場のグラウンドの中心には8つの円形ステージがステージ下にレールを敷いた状態で放射状に設けられ、各ステージでは出演するミュージシャン毎に使用される楽器を配置、その8つのステージを使用する出演者がステージに上がる(上がった)際にそのステージがレールにより真ん中に移動され演奏が行われた〔。尚、このイベントに使われたマイクは300本以上、アンプも200台と言われている。
チケットは一旦ブロック指定にて発売され、そのブロック指定券を公演当日の会場時間前にブロック毎の列指定席券(当時の国立競技場は、1席毎に座席が分かれていないブロックもあった)と交換し、その列指定席券に指定された列の座席にて観客はコンサートを鑑賞した。
はっぴいえんどサディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカルは松任谷由実)の再結成の他、吉田拓郎オフコース佐野元春サザンオールスターズさだまさし南こうせつチェッカーズTHE ALFEE山下久美子坂本龍一武田鉄矢財津和夫イルカ白井貴子アン・ルイスラッツ&スターらが出演し、再現は不可能な顔ぶれが揃ったが、吉田拓郎、オフコースから始まり、はっぴいえんど、松任谷由実を経由してトリが佐野元春、飛び入りゲストがサザンオールスターズという演奏順で世代交代を象徴する流れだったため、後に細野晴臣が「ニューミュージックの葬式」などと揶揄した〔〔別冊宝島編集部『音楽誌が書かないJポップ批評44 拓郎&陽水と「フォーク黄金時代」』宝島社〈別冊宝島1346〉、2006年、p122-123〕〔小田和正『風のようにうたが流れていた』宝島社、p118-121〕〔『シンプジャーナル ベストセレクション'80s』自由国民社、2003年、p160-163、166、167〕〔井上陽水 『FILE FROM 1969』TOKYO FM出版、2009年、p166〕。
コンサート開催の経緯としては、1982年小田和正が"日本グラミー賞"を作ろうと奔走して、吉田拓郎松任谷由実矢沢永吉さだまさし松山千春加藤和彦らを集めて飲み会をしたことが前史としてある〔『吉田拓郎ヒストリー1970-1993』p141-142〕〔小田和正『TIME CANT' WAIT』朝日新聞社、1990年、p67-69、小貫信昭『YES-NO 小田和正ヒストリー』角川書店、2000年、p148-151〕。この時、小田が亀渕昭信にも構想を話したことが本コンサートの開催に繋がっている〔〔。その後も小田と吉田が中心になって"日本グラミー賞"構想は進められていたが、放送局の壁や色んな利害関係があって実現出来ず、1985年になってこの年が「国際青年年」なので、音楽の力で何かやれないかと日本民間放送連盟が提案、小田と吉田がリーダーシップを執って本コンサートの開催が実現した〔。
ジョイントコンサート自体は古くからあり珍しくはないが、当時既にビッグネームだったアーティストが一堂に会したという点が特筆される。これは「バンド・エイド」や「USAフォー・アフリカ」の影響がある。エンディングで歌われた「ALL TOGETHER NOW」は、主なシンガーが次々ソロパートを歌う「バンド・エイド」や「USAフォー・アフリカ」式で歌唱された。なお、出演者同志の横の繋がりはほとんどなく、個性の強いアーティストの集まりで、必ずしも仲がいいとはいえず。松任谷由実は、「亀渕さんから最初に話を聞いたが、その後間が空き、男連中で話を進めていたようで、次に企画側と吉田拓郎さんや高中らアーティスト20人くらいでホテルニューオータニに集まったのだが、この男連中がまだグジャグジャ揉めるので、私がキレて『あんたたちはっきりしなさいよ! やるんならやる、やらないならやらないで時間取ってもしょうがないよ』と怒鳴りつけて、ようやくやることに決まった」と話している〔。また、松任谷、小田、財津和夫名義でリリースされたシングル『今だから』のプロモーションになるから「ウチは協力できない」とアーティストを出さないプロダクションもあったという。
なお、このイベントの基となった"日本グラミー賞"構想は、のちに小田和正がテレビ番組『クリスマスの約束』(TBSテレビ、2001年 -)として形を変えて実現し、現在に至っている〔第1回放送(2001年)では当イベントに出演した松任谷、桑田佳祐に出演を要請(ほかに出演要請したのは山下達郎福山雅治宇多田ヒカル桜井和寿SMAP)したが、両者とも都合が付かず、辞退した(SMAPからは中居正広が2005年、桜井は2003年と2013年の放送にゲスト出演)。2013年の放送では吉田がゲスト出演を果たしている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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